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茶畑の町が歩んだ歴史。町史編さん室を訪ねて、茶業の始まりに触れる。

和束町史編さん室 専門員
渡邉 久仁太さん
京都府木津川市在住。和束の好きなところは「茶畑が他の農地や住宅と共に存在しているところ」。おすすめの過ごし方は「桜の時期は祝橋周辺を、紅葉の時期は正法寺や運動公園周辺を散策すること」です。
和束町史編さん室 専門員
渡邉 久仁太さん
京都府木津川市在住。和束の好きなところは「茶畑が他の農地や住宅と共に存在しているところ」。おすすめの過ごし方は「桜の時期は祝橋周辺を、紅葉の時期は正法寺や運動公園周辺を散策すること」です。

山間の清流に沿って車を走らせる。川べりの岩に打ちつける水飛沫と、底が見える透明な水のコントラストを眺めていると、いつの間にか空がひらけた。そこには、どこまでも茶畑が伸びゆく世界が広がっていた。見わたす限りの緑に引き込まれていく。

ここは和束町。京都府南部に位置し、茶源郷と呼ばれる小さな町です。宇治茶の主産地として、長く日本の茶産業を支えてきました。現在は約300軒の茶農家がそれぞれの工夫を凝らして栽培に取り組む、茶の生産地としても知られるようになってきました。

「和束町は、日本の大きな歴史の流れに加え、ここ独自の街道、林業、茶業が組み合わさり、かたち作られてきました。和束が日本の歴史の中でどのような存在だったか紐解き、これからの和束を考えるきっかけになればと思っています」。2018年に設立された和束町史編さん室専門員 渡邉久仁太さんに町と茶業の歩みを教えてもらいました。編さん室は、和束町体験交流センターの一角にあります。もと木津高等学校和束分校の校舎をリノベーションして設置されました。教室の面影を残す室内には、町中から集められた資料が保管されています。

今日、和束町には10基の古墳が確認され、古墳時代から有力者の統治があったと考えられています。和束の名が歴史資料に登場するのは744年、奈良時代です。大伴家持(おおとものやかもち)が聖武天皇皇子 安積親王の死を悼んで詠んだ和歌「わが大君 天知らさむと 思はねば おほにぞ見ける 和豆香(わづか)杣山(そまやま)」が『万葉集』に残されています。和歌にもあるように、和束は良質な材木の産地『杣山』として興福寺に、大正天皇と昭和天皇の大嘗祭(だいじょうさい)にも材木を奉納してきました。和束産材木は土質に恵まれ、北山杉に匹敵するほどまっすぐ育ち、芯は美しい赤色をしていたそうです。林業は柑橘類などの果樹、養蚕のための桑栽培、茶、薪づくり等、傾斜地を活かした大切な生業のひとつでした。

奈良時代には恭仁京(くにきょう/現在の木津川市に存在)と紫香楽宮(しがらきのみや/現在の甲賀市に存在)を結んだ恭仁京東北道もひらかれ、平安時代から安土桃山時代にかけて荘園などが置かれてきました。江戸時代には現在も字に名を残す14の村が和束郷として天皇家の領地となり、木津川に接する木屋浜集落から大坂城へ松荘(現在の門松飾り)を、京都御所に高麗柿を、先述の大嘗祭には材木を納めました。1889年、和束郷は西和束村、中和束村、東和束村、湯船村にまとまり、1954から1956年にかけて4村が合併し現在の和束町となりました。

和束の茶業は鎌倉時代に遡ります。海住山寺にいた僧侶の慈心上人が日本で初めて茶を栽培したと言われる京都高山寺の僧侶 明恵上人から茶の実を分けてもらい、鷲峰山の山麓で栽培したのが始まりと言われています。1711年に発行された茶畑売渡証文はそれ以前からお茶栽培が行われていたことを示し、19世紀中頃には江戸とのお茶取引が記録に残されています。

中国から伝来したお茶はもともと薬として服用され、和束でも抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)が栽培されていました。いま日本茶としてイメージされる緑茶は1738年に宇治田原の永谷宗円が考案した煎茶です。摘みたての茶葉を蒸す工程を発明し、お茶の色、香り、味わいを向上させました。煎茶の人気が広まると製茶専門の農家も出始めます。江戸中期には幕府からお茶の保護施策が出され、江戸末期になると輸出品として生糸と並んで生産量が増えていきました。

輸出量の増加に伴い、収穫や製茶も機械化が進みました。昭和初期には山林を開拓して茶畑を広げ、戦後の高度経済成長期になると重機を使った整地も進み、技術の進歩がさらに茶産業を伸ばします。

久仁太さんが、白黒の写真を見せてくれました。苔のようにモコモコした茶の木は、茶バサミで1本ずつ刈り取りしていたころの姿です。手摘みから茶バサミになり、さらに茶木に沿わせ畝ごとに葉を刈り取る摘採機が登場し、現在のカマボコ状の茶畑へ変化しました。

昭和には水田も茶畑に転換して耕作地を広げました。飲食業界に巻き起こった抹茶ブームを支えるため煎茶栽培から碾茶栽培の転換にも対応し、生産を急拡大。和束の人々の絶え間ない挑戦が、令和に広がる茶畑景観をつくり上げたのです。

「初めて和束を訪れたとき、こんなところがあるんだと驚きました。きっと、みんなそう感じると思います」。編さん室の準備がスタートした2017年からプロジェクトに関わり、翌年から和束に通う久仁太さん。調査を進めるほど和束の景観に魅せられているようでした。800年の茶業をつなぐ和束町。いまも変化し続ける姿には、たくさんの歴史と物語が詰まっています。

PLANNING&COORDINATION
田中昇太郎
田中美代子
西田ひろ子
PHOTOGRAPHER
奥山晴日
WRITER
原田美帆